古くから伝わる日本の贈り物の習慣。
その起源の多くは中国にあります。
中国では昔から端渓硯は最高の贈り物とされてきました。
お世話になった方へ、また、ご結婚、ご出産、長寿のお祝いや、学業への願いなど、あなたの気持ちや願いを贈ります。
中国王朝期時代には端渓硯は皇帝へ貢がれ(貢硯)、また逆に皇帝から臣下へ下賜される(賜硯)場合もありました。文人や知識階級層のあいだでは端渓硯を賛美する詩文や論評等も多く著されました。また、民間のあいだでも端渓硯の伝説は流布し、その名声は天下に轟きました。そして端渓硯の佳品を所有することが文画人や高級官僚、一部の富裕層のなかでステータスともなりました。
また、端渓硯は工芸品としても高い評価にあります。ひとつ一つの天然石の石質や形状、石紋を考えながら施される石刻の技術も高く評価されてきました。唐代の詩人、李賀は「端渓の石工 巧なること 神の如し」とうたい、その制作を賛美しています。
端渓硯に石刻される意匠の殆どは吉祥的な意味を含んだものが多く、中国において端渓硯は最高の贈り物とされてきました。
中国では昔から受験に対する意識が非常に高く、世界的に見て驚くべきはやい時代から受験地獄なる現象が起こっていました。これは、今から約1400年前の隋代に始まった官吏採用試験”科挙”制度の影響が大きいといえます。
科挙の制度は西暦587年から始まり、清朝末期の1904年まで行われました。封建制度が終わった後の中国では、この科挙の試験に合格することが庶民にとっての唯一の出世の道と言っても過言ではなく、内容的にも倍率的にみても、中国最難関の試験でした。そしてこの科挙にまつわる有名な伝説の一つに、端渓硯が登場する話しがあります。
唐の時代に梁という人物が科挙の試験を受験するために都の京城(長安)へ上ったときのことです。不幸なことに、試験の当日に京城は大寒波に襲われてしまいます。受験生たちは墨を擦って答案を書かなければいけないのですが、墨汁が凍ってしまい、書けずに困ってしまいます。そんな状況のなか、梁の墨汁だけは凍りませんでした。梁が持参していた硯は、端渓の硯だったのです。梁は端渓硯の産地、端州の出身でした。ただ、墨汁を使い果たして新たに磨ろうと思っても、水壷の水が凍ってしまっています。そこで梁は端渓硯に息を吹きかけます。するその水蒸気が硯堂に付着するのでそれを利用して墨を磨るこ
とができ、なんとか答案を書きあげることができたということです。そして梁は見事に試験に合格したという伝説です。
この話しの中には、端渓硯の石質の特徴が表れています。清代の陳齢は「寒さがつづいても凍らず、質が強い」と自序の”端石擬”で述べていますし、先人たちからは、端渓硯は「息を吹きかけただけで墨が磨れる」、あるいは「息でも湿る」などと言われてきました。
実際、端渓硯の佳品ともなると、しばらく手を押し当てているだけでも湿り、手形が出来ることが確認できます。
梁が科挙の試験に合格してから1200年以上を経た今日の現代世界では、筆記用具は大きく様変わりました。学生たちは鉛筆やシャープペンを主に使用していますし、パソコンのワープロ機能を使って宿題や論文を提出しなければならない場合もあります。そんな現代世界においても、部屋のひと処に一面の端渓硯を置くだけで不思議と雰囲気が変わり、学問に対する意欲が湧きたてられ、出世の道が開かれる….かも知れません。
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